陶つぐについて
山陰の手仕事文化の 再興を目指して
陶(すえ)つぐは、やきものの窯元を引き継ぎ、
次の担い手にバトンタッチする「中継ぎ役」として、
山陰地方の暮らしの中の手仕事を再生し、みなさまに広く伝えたいと思っています。
八幡焼窯元の再生
民芸運動の立役者・河井寛次郎の出身地の島根県安来市。その広瀬町にある八幡焼窯元は、約300年の歴史のある窯元ですが、後継する担い手がなく消滅しかかっています。地域の生活雑器を製造する製陶所でしたが、近代化に伴い、プラスチック製品の大量生産、大量消費の時代を背景に衰退しました。
近年は食器や民芸品の製造、販売で細々と続いていましたが、先代がなくなり、窯元はほぼ休眠している状態になりました。窯元固有の青釉の復元を目指します。
昭和100年!民芸運動リバイバル 手仕事を暮らしに取り入れる文化を
山陰地方の窯元は、民芸運動で見出された民窯でもあり、暮らしの中の陶器の美しさが評価されました。その100年後の昨今、再び民芸は再評価され始めています。
コロナ禍を乗り越え、循環型社会、リモートワークなど働き方が変わってきました。暮らしに民芸品などの手仕事を取り入れて喫茶時間を楽しむなど、おうち時間の過ごし方が見直されてきました。
喫茶と民芸品 ボテボテ茶からコーヒーへ
時代とともに生活様式は変化します。安来地方では、ボテボテ茶を楽しむ茶碗が民芸品とされてきました。その背景には、都市部の茶の湯文化と抹茶碗。農村地区では簡便な軽食の器としてのボテボテ茶碗が生活の道具となり、地方の名産品となりました。
喫茶の生活様式も変わりました。抹茶や番茶からコーヒー、紅茶など多様化しその器も姿を変えていきます。
※ボテボテ茶とは‥ボテボテ茶は、大正中期頃まで農家の囲炉裏端で、番茶の花を沸かした湯をボテボテ茶碗に汲み、茶筌でボテボテと抹茶のように泡立て、少量の粥、飯、煮た黒豆、大根漬、昆布を刻んだものを入れたお茶漬けのようなものです。時に農家では主食とされました。腹もちがよく、寒い時期にはからだが暖まり、風味のあるものでした。藩政期貧農での生活の知恵ともいえるボテボテ茶も松江藩主で茶人であった不昧公が賞味され、ボテボテ茶碗は出雲一円に広く用いられるようになったそうです。
ドリッパー研究所
安来地方の風土を活かして、陶器製コーヒードリッパーを製作します。
安来市広瀬町は超軟水の水が湧き出ています。古くから続く自然製法を取り入れた製陶所の伝統を引き継ぎ、コーヒー豆の特徴を最大限に引き出すドリッパーをひとつひとつ手作業で作ります。愛着をもって長く使ってもらえる陶芸品を目指しています。
Profile
代表 末次 彩良
福岡市生まれ。
九州芸術工科大学(現九州大学芸術工学部)卒業。
建設系コンサルを経て、2007年より、福聚窯の福田昭男先生に師事。陶芸教室にて講師アシスタントを務める。2018年より熊本を拠点にゲストハウスを運営し、陶芸アトリエを開窯。宿泊者向けに陶芸体験サービスをはじめる。
末次宏成
熊本市生まれ。
芸術工学博士。建築デザイナー。
九州大学芸術工学部で学位取得、研究員を経て、2013年より家業を引継ぎ医療法人の経営を担当。
2016年より空き家再生ゲストハウスを起業し、運営を行う。2024年より母の故郷、安来市広瀬町にて窯元の再生に取り組む。
ロゴに込めた想い
器からつなげる想い。
このロゴは、後継者のいなくなった窯を引き継ぎ、その器たちを歴史とストーリーとともにつないでいくという思いを表現しています。
「す」という文字は、「すえつぐ」(陶を継ぐ)という言葉を象徴し、文化を次の世代に引き継ぐ思いを込めています。また、設立日である8月8日にちなんで、「8」の数字をロゴに取り入れました。この「8」は無限大(∞)にも通じ、永続性やつながりを表しています。
さらに、ロゴに含まれる「&」は、人々をつなぎ、器を通じて生まれる絆や交流を象徴しています。このロゴを通じて、伝統と未来、そして人々をつなぐ存在でありたいという思いを伝えています。