八幡焼

八幡焼

八幡焼の特徴は「青釉」の色彩です。やさしい緑色の青釉と陶質の堅緻さは、広く愛陶家に好まれています。地元の広瀬町内では、家庭の食卓を彩る湯呑やお皿として長く親しまれています。

八幡焼の歴史

八幡焼の成り立ち

八幡焼は、享保8年(1723年)に広瀬八幡宮の神宮・竹矢豊前と藩士・熊谷由武によって、作州の吉五郎を招き、粗陶器をつくりはじめたと言われています。後に長州から理兵衛を招き技術を向上させたました。天明6年(1786年)広瀬藩主・松平直義は、矢野忠統を陶師とし、やがて八幡焼は、広瀬藩物産部として運営されました。

明治28年(1895年)、秦家(灰吹屋)馬市が引継ぎ、3代目信吉(久七)、大造と良次の兄弟、そして美幸に継承されました。窯元の床の間には、田部長右衛門が描いた帆船の絵が残っています。
現在の八幡焼窯元は、職人不在のまま工房は休眠状態となっています。

商品について

やきものの特徴

八幡焼の特徴は「青釉」の色彩です。やさしい緑色の青釉と陶質の堅緻さは、広く愛陶家に好まれています。地元の広瀬町内では、家庭の食卓を彩る湯呑やお皿として長く親しまれています。

「広瀬3万石、桶茶に茶漬」と謡われているように、ボテボテ茶碗は、緑・飴・白・黒などの多彩な釉薬が用いられています。その他、花器・鉢・湯呑など生活用品が焼かれていました。

Online Store

作り手